思い通りに写真を撮りたい

最近草花が多くなってますが 猫とスナップがメインの忘備録的ブログです 右上のMENUクリックでカテゴリーが表示されます

トマトの花と実 

都心ではないにしろ都内に住んでるので野菜が実ってるのを見ることはあまりない。
それでも自治体とか人様の家庭菜園とかがあり、なにげなく目にした可憐な花を撮影したりしてます。

この黄色い花を撮ってると下の方にトマトがなってるのを見つけ、これがトマトの花のかと・・・
トマトだけでなくキュウリやレタスなど栽培し、晴耕雨読の生活ができたらどれだけいいだろうか~~~
ひとり農業も悪くなないと思うんですが~~~

撮影機材 PENTAX K-5Ⅱs / smc PENTAX-A 35-70mm F4
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先日永六輔さんの次女の永麻里さんが記者会見したところ、亡くなる前日アイスキャンデーを舐めて美味しいと子供のように喜んでたのが翌日、じゃこれで逝くよという感じで旅立って行ったといいます。
永六輔さんは自身の死期を悟ってただろうし、家族もできることはして悔いを残さなかったのではと思われます。
正確な死因はともかく肉体的に尽き果てての老衰でしょう。

私の母は7年前末期癌で78歳で亡くなりました。
74歳で乳癌になり片方の乳房を全摘しその1年余り後、乳癌による転移でなく胃癌に。
過去30年間かかりつけの町医者で定期検診してて癌の兆候はなかったのに、食事をするにも物を飲み込めない状態となり大学病院で精密検査したところステージ4でした。
検査を終えそのまま入院し1か月後に8時間近くに及ぶ手術は成功したといっても、集中治療室にいる母の顔は土気色をしてて生きてるとは思えませんでした。
それが徐々に快復して退院でき、医学は進んでるのだと思ったものです。

ところが4週間ごとの抗癌剤治療では食事できないほど苦しんでたし、治療の効果がいっこうに認められず半年後抗癌剤投与をやめました。
すると食欲がでてきて体重も少しずつ増えて行きました。
そして甲府にいる姉のところへ行き1か月ばかり温泉三昧し帰宅すると、病人とは思えないほど元気になりほっとしたものです。

抗癌剤投与してたときの母は食欲がなくなるばかりでなく、筆舌しがたい苦痛に苛まれてて傍から見てるのが辛かったです。
それなのに食欲もあるしたまに行く銭湯で知り合った方とあちこち出かけ、帰ってくれば楽しかったと顔をほころばせてました。
それでも癌は着実に進行してたんでしょう。
姉のところからもどった年の11月に亡くなりました。

亡くなる直前の3か月間は食欲がまったくなくなり、それでも自宅に居るときは一口でもいいからとお粥を無理やり食べさせたものです。
食べたあとは気持ち悪くなって苦悶するんですが、骨と皮だけといってもいいぐらい痩せ細ってたし、母自身入院したくないといってたので仕方ない。
母の辛さもさることながら、それを目の当たりにしてるこちらも生きてる心地がしませんでした。

永六輔さんは前立腺癌や骨折やパーキンソン病で車椅子生活を余儀なくされてました。
当然要介護生活だったでしょうが、半年ほど前までラジオ出演を続けるほど元気だったようです。
亡くなったのが入院先の病室だったのか自宅か知りませんが、それでもアイスキャンデーが美味しかったと喜んでたというし、まさに大往生だったのでしょう。

生前の母は死ぬならぽっくり逝きたいとかねがねいってたのに、それとは反対で苦しみながら死を迎えました。
癌にならなければもう少し長生きしてたかもしれないし、悔いのない死を迎えたのかもしれない。
それは本人のみ知ることで息子の自分にも真意はわかりません。
ただいま思うことは、母のためにできることがもっとあっただろうにという後悔です。

命あるものいつか尽き果てることを理論的に知ってはいても、それを絶えず意識してる人はそうそういないでしょう。
それでも、近親者に病人とか年寄りがいればそれとなく感じてる方もいるでしょう。
後悔先に立たずで、亡くなってからあれこれしてあげたかったと思っても何もできない忸怩たる思いと悔しさに陥らないためにも、できることはなんでもしてほしいものです。
そして死に行く者が大往生と思えるようにしてあげたいものです。
テーマ: 家庭菜園 | ジャンル: 趣味・実用 |  trackback: -- | comment: 0 | edit

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