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梅雨本番のようです

フィルターでコーヒーを濾してると呼び鈴が鳴り、出ると大粒の雨が降る中水道メーターの交換をするという業者がいました。
工事は後日行うとのことですが、玄関わきのその水道メーターの奥には由乃のがありました。
今日のように大粒の雨が降り続く時は雨漏りしてないかと、何度もを開け様子を見てたものです。
そんなこちらに由乃が気づいて目を覚ますことがあれば、じっと寝たままでいることも。
そのを撤去してから半年。
未だ由乃が生きてるような気がしてなりません。
死に児の年を数えても仕方ないのに、忘れようにも忘れられない。
野良猫の由乃と付き合ってきた十年は煩わしいことが多かったのに、消そうにも消せない思い出を刻み込まれてるようで・・・・・・
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夜中雨漏りしてたのに気づかないままで寝てた由乃がひどい風邪をひき瞬幕が開いたままの目が痛々しかったし、餌を食べない日が三日ほど続き死ぬのかと思いましたが、難を逃れたクロが寄り添って温めた甲斐がありました
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そのクロは失踪したのにひょっこり現れたりしてましたが・・・・・・
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雨で洗われた木々の葉が鮮やかな緑に。

梅雨本番のようです。

冬至だしカボチャぜんざいでも作りますか

冬至だしカボチャぜんざいでも作りますか~~~

二十歳ごろ会津出身の方がカボチャぜんざいを作ってくれたのが美味しかった。
お汁粉にカボチャという取り合わせは初めてで驚いたものですが、両方とも甘いので違和感がない。
それでもカボチャはそれだけを煮て食べる概念が強かったので衝撃的だった。
そんなカボチャぜんざいをふるまってくれた方はこちらより二回り近く年配だったし健在なのか?
喜多方や塔のへつりが素晴らしいと故郷自慢してたのは寿司屋に連れて行ってくれた時だった。
そこはもちろん大内宿や東山温泉とか三島町の宮下温泉も行ってる。
新潟から西会津経由で日光へ抜けて帰ったり、奥鬼怒近くの土呂部から湯ノ花温泉へ向かったりと会津は何度も行ってる。
そんな会津どころかこの5年間旅行らしい旅行をしてない。
カボチャぜんざいを作りながら思い出にふけてみますかね~~~

撮影機材 PENTAX K-5Ⅱs / SIGMA 70-300mm F4-5.6 DG MACRO
撮影日は10月末なので冬至の今日はもっと影が長くなってるでしょうね

仕事疲れを癒すにはレコードと五木寛之の小説だった

こないだの日曜「ザ・ノンフィクション」で「東京足立区 焼肉ドタンバ物語 涙を振り切り肉を切れ!!」を見ました。
焼肉スタミナ苑店主の豊島雅信さんは幼年期両親が肉屋を営んでてひき肉にする機械に手を入れ指を切断してしまい、そのハンデを跳ね返すため猛烈なプロ意識で焼き肉屋を繁盛させたようです。

焼肉の美味さはなんといっても肉自体でしょうが、仕入れたブロック肉を商品として提供するのに下拵えをしなければならない。
チェーン店などの焼き肉店では輸入物を加工センターで一括して下処理してるんでしょうが、細部にわたってまで掃除をしてるのかどうか?
掃除といってもホウキで掃くのでなく、肉から余分なものを取り去ることですが・・・

ホルモンやスジなどは下処理が大変なようですが、サブタイトルになってる「涙を振り切り肉を切れ!!」のとおり冬でも冷たい水を使いながら立ちっぱなしの仕事で片足の筋肉に異常を起こしてる。
焼肉馬鹿を自称する豊島雅信さんにとって楽しみはなんなのかと思ってると、仕事を終えた後レコードに針を落とす時ではないのかとイメージしてたら、案の定?百万円もかけたオーディオでレコードを聴くことだという。
漠然とした山勘が当たったというよりやっぱりかと思ったのは、既視感だったなのか?
昔からこんなことがかなりあったので、想像が当たってたことにそれほど驚きはなかった。

私が二十歳前稼いでたのは7万円ぐらいだったのに、仕事になれ欲が出たせいで最高で18万円にもなったことがある。
一心不乱で身も心も仕事に集中して終えて帰宅すると、バーボンアーリータイムズをラッパ飲みしながら毎月刊行されてた五木寛之全集を読むのが至福のひと時だった。
ナット・キング・コールがベルベットボイスで歌う枯葉やスターダストをサンスイのアンプデンオンのダイレクトプレーヤーで聞きながら、デラシネや海峡物語とか恋歌などいろんなジャンルの小説で仕事の疲れを癒してたものです。
40年以上も前の山水のアンプとチューナーはいまだ部屋に置いてますが、プレーヤーは壊れたままだし建て込んできた家やマンションでラジオも聞けない。
ま、今では楽しむというよりその日の気分で動画サイトを見ながら気分転換してるような毎日ですが~~~

撮影機材 PENTAX K-5Ⅱs / SIGMA 18-250mm F3.5-6.3 DC MACRO / SIGMA 70-300mm F4-5.6 DG MACRO
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舟木一夫の学園広場を思い出したのは・・・

シクラメンの花がでまわってますね。
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秋バラも咲いてるし~~~
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温室があればハウス栽培に野菜の即売会も。
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これ、私が通ってた高校なんです。
文化祭が開催されてるのにおにぎりを買い込んで行き、生徒たちが作ったトン汁で食べる。
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日本庭園とフランス庭園があり近所の住人が乳幼児を連れて来てることが多々あったし、隔週水曜日には収穫した野菜を販売してた。
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パンパスグラスが秋風にそよいでたが、48年前高校時代に見たときはススキだと思ってた。
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正門から伸びてる銀杏並木は鈴懸のようにまっすぐ伸びるように剪定されてる。
それでも万能ズームで見上げるように撮れば歪んでしまい己の心根かと思ってしまう。
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都会の中で田園風景を色濃く残すこの高校への入学式当日。
最寄り駅というより乗ってた電車は沿線に女子高や女子大があり女性ばかりで男性はあまりいなかった。
そんな光景に圧倒されたし、1クラス45人中男子は7人でそのうち1人はすぐに不登校。
全校生徒の男女の比率は3:7ぐらいでもラグビー部があり、写真部と並行して入部。
新入部員のAは90キロ近くありMは80キロ。
そんなのと夏休み自主練習すると2人とも10キロいっきに痩せた。
3年生が卒業するときの記念試合で涙があふれたのは何故なのか?
夏木陽介の青春とはなんだの学園ドラマがオーバーラップしてだったのか?

そんなラグビーゴールがなくなったグラウンド。
ラグビー部は遠の昔廃部になったらしい。
真面目に勉強してればいいものを、勉強しなくてもクラスではいつもトップクラスの成績に胡坐をかいてた。
通ってた中学は学区内でかなりレベルが高く、偏差値が低かった私は普通科へ行きたくても行けず職業高校に進学。
するとほかの学区内の偏差値が高くてもレベルが違いすぎる弊害なのか、こちらのが成績優秀だった。
そんなことでまともに勉強などせず悪仲間とつるんでばかり。
なかには停学処分を受けたのもいるが、こちらはラグビーをしてたしその顧問が生活指導担当だったせいか目こぼしされることしばしば。
思想家の講師と酒を飲みに行ったり試験が終わればそんな講師とマージャンをしたりで、まともな高校生でなかった。
皆は大手の種苗会社や園芸関連に就職するも、こちらは幸か不幸か叔父のところで仕事。
高卒の初任給が4万円ぐらいだったのに倍以上稼いだのが、後々仇になるとは努々思いもしなかった。

山岳部に来ないかと女性の先輩から誘われるも山は気の向くまま登るのが好きだといって入部しなかったが、同級生はわらじの仲間に入会を許されたと卒業後喜んでた。
園芸会社に行ったのに反りが合わず車メーカに転職したのは労組の書記長になったと聞いたが、それももう30年以上前のこと。
動物が好きで獣医になるといってたボンボンは頭悪かったしなれたのかどうか?
千葉の農場を借りて農家をはじめたのは今もめげずやってるんだろうか?

ラグビー部で一緒だったKとは今でもたまに電話で話してるし山にもよく一緒に行った。
そんなのと1か月ほど前近所で偶然会ったら腰や足が悪くなったとか健康問題ばかりで、高校時代のことなどまるっきり話さなかった。
半世紀近くたち残された人生を如何に生きるかが切実になってて、そんな青臭いことなど話してもしょうがない思いがある。

それでも夢に燃えて入学した高校。
そんな文化祭に行くと舟木一夫学園広場の歌が蘇ってきた。

舟木一夫学園広場


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駅から学校への裏道は畑があちこちあり時期になればモミジイチゴがなってたのをよく覚えてる。
昔は農家ばかりだった面影のなか民家には垣根が多かった。
そんな生け垣を見なくなったし無機質な建材が鎧のように見える家ばかりになってる。
それでも見つけた生け垣がある民家と畑。
半世紀前の思い出はいろいろあっても、それを懐かしむ相手がいないのは寂しくも思うが・・・・・・
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瑞牆山の少女

中学生時代から好きだった山登りが二十代前半で遠ざかってたものの、バブル全盛期月に1日しか休みがなくても連休をとって山に行くようになったのは三十代半ばになってから。
山登りを再開するのに手ごろなのに見晴らしがいいのは奥秩父の瑞牆山

1992年10月17日、須玉の民宿に行くと同宿したのは静岡か来てる夫婦とその知り合い3人だけ。
多くは瑞牆山荘に泊まってるのか、紅葉真っ盛りだというのにがら空きでのんびりゆったり。
あけた翌朝さっそく登山口から富士見平小屋まで登り、そこから天鳥川源流までいっきに下り、また頂上へと上り詰めて行く。
そのアップダウンが山を再開するのにいいトレーニングになるし、その歩行ペースと体調でどの山へ行けるかがだいたいつかめる。
同宿した3人とつかずはなれずで頂上に立ちましたが、狭いスペースはそれぞれ記念写真を撮るのにてんてこまいなのは崖がすぱっと切れ込んでるからです。
そんななか可愛い少女がいて撮らせてもらいました。

今日5月5日は端午の節句で男児の成長を祝うとされますが、子供に男も女もなく、25年前小学生だったこの少女は三十代半ばになってるでしょうが、あれからどういう人生を経ていってるのか~~~
話すと素直だったしおだやかな両親ゆえ、健やかに成長し幸せな人生を送ってることでしょう。
万が一当人と思われる方がいたらプリントしますのでご一報ください。

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一縷の望み

私が子供のころ人生五十年といわれてました。
そして死亡原因は脳卒中がほとんどのようでした。
突然死が訪れ自宅で亡くなるケースが圧倒的でした。

それが今では人生八十年とも九十年ともいわれ、年金受給が開始される65歳でも高齢者と呼ぶのが妥当かどうか?
高齢者を前期と後期に分けたり、何歳からが高齢者になるのかをつい先日発表があったばかりですが、その詳細はともかく長寿社会になってます。

母が末期癌と宣告されたとき死生観を考えるようになりました。
それより溯った20年ほど前も一時思うことがあり仏教に関する本を読み漁ったし、7年前しまなみ海道の生口島にある耕三寺へ行ったときは逆に生きるとは何かを考えたものです。

人は生まれると同時に死に向かってるのに、そんなことを意識しながら生きてる方は稀でしょう。
大病したり肉親やまわりにそういう人がいて、初めて命とは何かを考える方がほとんどでしょう。

こちらはあと4か月ほどで64歳になります。
半世紀前人生50年といわれた時代なら老人といわれる年代だし、死んでてもおかしくない。
これからどれぐらい生きるのかわかりませんが、今思うことはとにかく生き辛いし厭な世の中になってるなと・・・

昨年秋からバラバラになってる画像ファイルの整理をしてて、昨日から外付けハードディスクにカテゴリー別にコピーしてます。
その一部にフィルム写真をスキャンしたのが少しあり、仕事で知り合ったSさんが撮ってくれたのがありました。
Sさんは一風変わり者ですが、自分にしても世間から見れば変わり者で似た者同士だったのか馬が合いました。
5歳年長のSさんとは一緒に旅行したりよく飲み歩いたものですが、25年ほど前ちょっとしたことで音信不通になってしまいました。
その前にもう駄目だと弱気なことを電話でいってきましたが、目標を決めるとそれに猪突猛進するタイプなので自殺することなどないだろうと思ってましたが、音信不通になったあと電話しても違う人のところにかかるのは引っ越したからだと思ってますが・・・
今も元気でいることを願ってますが・・・


あの時君は 若かった
わかってほしい 僕の心
小さな心を 苦しめた
僕をうらまず に いておくれ
それでも君が のぞむなら
僕は待ってる いつまでも きっとわかって もらえる .
..



話が紆余曲折してますが、下の写真に1970年とクレジットされてのは1980年の間違いです。
それでも37年前で27歳のときです。
Sさんの家に行ったときアルバムを見せられ、山下公園で撮影した女性二人のうちの一人に一目惚れし、住所を聞き出し会いたいと手紙を出し北海道へ飛んで行きました。
千歳空港から支笏湖へ車で案内してくれたのは一目ぼれした女性でなかったのは、Sさんが勘違いしてたからですがその女性が気を利かしてくれ思いを寄せる女性と二人きりで飲んだものです。
そして帰るとSさんにその女性のことをしきりに話したし、北海道に移住するかも知れないと熱い胸の内を話したのは金沢へ旅行したときでした。
このとき私は公害や大気汚染の元凶となってる車など乗るものかと免許を持ってませんでしたが、支笏湖へ案内してくれた時すれ違う車もない原生林だけの道路に感動したし、山に行くにも車があれば便利で仕事でも必要性を感じすぐ教習所に通いました。
そしてSさんを誘いドライブがてら山梨や新潟まで行ったものです。
そんなSさんに撮ってもらったら東京駅が傾いてるんですが、スナップ的な写真でいいと思うのが不思議です。

なんでもできると思ってたし夢と希望に燃えてた。
そんなときから37年たち年をとったからでなく、厭な世の中になってると思わざる得ない。
それでも淡々と生きて行くでしょう。
Sさんがこのブログを見てないかと一縷の望みに賭けてますが・・・

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いろんな思いが交錯した夜

夕方になれば暗くなるのは当然として小雨がぱらついてた昨日は5時でも夜を思わせる気配だった。
前日ご飯を炊いたもののコンビニでツミレ・ウインナー巻き・大根・さつま揚げのおでんで晩酌したら満腹になってご飯を食べずじまいで、今夜は刺身が食べたくなるがこれから買い物に行けば混んでるし・・・
寒いし、それでたまには飲みに行くかと電車に乗る。

電車に乗ってもどこに行くか決まらないまま蒲田に着いた。
さしみを食べたいと思ってたもののたまには贅沢してウナギにするかとか、いやいや焼き鳥で我慢しようとか思うがやはり刺身だと居酒屋へ。
すると6年前青森へ一緒に行った幼馴染がいるではないか・・・
一緒に旅行したもののちょっとしたことがきっかけで仲違いしそれ以来会ってなかった友人だ。
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それでも会えば以前同様に話し、こちらはあれから1年間に5回も青森へ猫を撮影しに行ったというと、彼は一緒に泊まった湯段温泉時雨庵の人懐こい猫が忘れられないという。
また彼はランプの宿として有名な青荷温泉へ行ったといい、なにもなくていいところだとしきりにいう。
なにもないところなら山小屋に勝るものはないだろうと滅茶苦茶な突っ込みを入れると、そういうことではないだろうと言い返すのはもっとも。
ま、そんな山小屋やテント泊まりする体力もなくなったし、確かに青荷温泉は秘湯でいいところだと頷いた。

青荷温泉へ行くのにどこから行ったか聞くと黒石駅から行ったというので、それなら駅前の須郷食堂を知ってるだろうと聞けば、そこでつゆ焼きそばを食べたという。
摩訶不思議なつゆ焼きそばは美味しいと意見が一致。
その須郷食堂に猫がいるし、こみせ通りの鳴海酒造を過ぎた四つ角を左折しまたすぐ右折したところに中村旅館がある。
そこに猫がいるし、泊まってはないが元遊郭で顔見世の階段が現存してると話せば、幼馴染がもっと詳しく教えてくれという。

世捨て人のような幼馴染はスマホはもちろんガラケーすら持ったことがない完全なアナログ人間。
それゆえ青荷温泉を知ってても、ネットでさえめったに目にすることのない商人宿の類である中村旅館の存在を知らなくて当然。
昔と違い今スマホは使い方次第では3千円ほどで済むし、こういう情報を得るためにもスマホぐらい持ったほうがいいと進めるも固辞する。

1時間余りで店を出て別れるが、おたがい年を取ってるしいつ何時どうなるかわからない。
こちらはひょっとすると姉と姪がいる山梨に転居するかも知れないといえば、彼もまた定年を迎えたら地方へ移住しようと考えてるとのこと。
安倍晋三のような穀潰しがのさばってる現状では自給自足とまでいかないまでも、少しでも物価が安くストレスのない地方暮らしのがいいとたがいに納得。
ここで会ったのもなにかの縁というか腐れ縁だろうが、これが最後になるかも知れないという彼。

その彼の叔母が近所にいて、会うたびに幼馴染がどうしてるかとこちらに聞く。
叔母にすればこちらと仲がいいので近況を知ってると思ってのことだろうが、青森旅行以来会ってないし、強情で人の話をまともに聞かないんでは会う気もないというばかり。
そんなことで彼と会うのはこれが最後になってもおかしくない。

帰宅してアド街ック天国を見れば九品仏が映ってる。
12月に九品仏の山門をくぐるとカエデのトンネルが凄いと峰龍太がしきりにいってるが、確かにあの紅葉は見ごたえがある。
この放送を見て紅葉目当てで九品仏に行く人に一言アドバイスするなら、山門をくぐり参道の手前で必ず振り返って山門を見ることです。
それも朝日が逆光になる8時ごろがベストで、カエデが透けて見えますから。
それにこちらが足繁く行ってた時の猫たちはすべていなくなってるものの、また新たな猫がいるのかも知れない。
そんな猫と戯れながらカエデを愛でるのは乙ですから~~~
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九品仏の猫たち

布団に入るといろんな思いが交錯するも、酔いがまわってるのかすぐに寝てしまった。
それでも今朝起きれば昨夜の蒲田のことがあれこれ思い出されてくる。
ヨーカ堂手前にあったパン屋はなくなったし、五所川原出身者がやってた居酒屋がガールズバーに変わったことや、駅前のロータリー脇の植え込みで猫を面倒見てた男はどうしてるのか、安くて美味しかったラーメン屋の天国はいつなくなったのか、うなぎの寿々㐂は頑張ってやってるが値上がりしてるとか、蒲田で飲んだあとは決まって南蛮亭でカレーを食べたことなどとめどないことが脳裏を駆け巡る。
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どんよりした曇り空に号砲が何度か鳴り響いた。
もしかしたら多摩川の渡し船のイベントかも知れないと行けば案の定そうだった。
渡し舟があった当時多摩川のグラウンドで昨夜会った幼馴染らとよくソフトボールをしてた。
あれから半世紀以上たってるのが信じられない。
そんなに年をとった実感がないからだが・・・

給食でよく出た揚げパンは多摩川線鵜木駅のパン屋が始めたとかで今では名物になってるが高すぎる。
それでも買ったけど給食で出たときのがずっと美味しかった。
この寒空のなか麻雀をしてるのがいましたよ。
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甲府駅ホームから見えた鳳凰三山

新宿から中央線に乗り八王子駅を過ぎた辺りから車窓は山ばかりとなり、相模湖駅から西進するにつれ右は奥多摩が左には道志山塊が見えてくる。
私が初めて中央線で野辺山にむかった50年ほどまえ、相模湖辺りから勝沼までだったかスイッチバックがかなりあった。
夜汽車で景色は見えずスイッチバックなるものの存在を知らなかったし、バックするのでなにをしてるんだろうと訝った記憶がある。
それはともかく勝沼駅に着くと日中なら南アルプスがよく見えるし、春なら見事な桜並木に心が浮かれたものだ。
そして甲府駅に到着すれば鳳凰三山が行く手を阻むがごとく聳え立ってるのが見えた。
それが10年ほどまえか南口に高層マンションができて見えなくなってしまった。
南アルプスの玄関口甲府駅としては寂しい限り。

昨日8月11日が山の日とは知りませんでした。
かつて山とか風景ばかり撮ってたし、それが山に登らなくなってかれこれ15年ほどたってるとはいえ情けない。
それでもマンションができる前甲府駅ホームから見えた鳳凰三山を撮ってたのを思い出して掲載します。
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こちらは甲府駅からではなく日光白根山から尾瀬燧ケ岳の遠望。
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幼馴染を探し求め武蔵新田の古市場へ

私は4歳ごろ父方の祖父母のところに2年ほどいたことがあります。
そこは東急多摩川線武蔵新田駅から多摩川方面に南下した古市場というところです。
今、古市場という地名は多摩川を渡った川崎側には残ってるものの、大田区側では矢口町となってます。

58年前の都内はそこかしこに畑があり、古市場など肥桶のある田園風景がひろがってました。
飲料水は水道ではなく井戸で、そばに矢口浄水所があったのに今思えば何とも皮肉なものです。
小さい私には井戸を汲めず祖母が汲み上げたので顔を洗い、近所の住人たちと挨拶を交わして一日が始まります。
向かいの住宅というか社宅のような長屋には3世帯か4世帯が住んでて、その一軒に私よりひとつ下のM君が、そして少しはなれたというか実際にはすぐ真裏には年下のF子というのがいてすぐ仲良しになりました。

中学時代の恩師が亡くなったと風の便りで知らされたところで、墓参りに行きたくても住所がわからない。
同窓会をしてるのかどうか?その連絡も三十年来ないし、恩師はもちろん級友たちの所在を知る方法がまったくありません。
高校時代アルバイト先で知り合った方と二十年ほど前会ったものの、こないだ電話をかけるとこちらのことが誰だか思い出せないといわれ凄いショックを受けました。
そんなことで里心がついたというのか、三つ子の魂百までではありませんが、昔の幼馴染に会いたくなってます。
それなのにM君とは高校時代通学電車のなかで遭遇したのが最後だし、F子ちゃんにしても同時期だったのか・・・

新宿御苑の紅葉を撮りに行くつもりが今にも雨が降り出しそうだし、それなら古市場の近くにある桂川精螺へ行ってみようと思ったのは現在放映されてる「下町ロケット」の舞台になってるし、M君親子が住んでた長屋のような住宅はひょっとして桂川精螺の社宅だったのかも知れないのでそれを確認したくなってたからです。
多摩川線は矢口渡や下丸子をはじめとして町工場が多く、駅周辺は工員相手の飲み屋と食堂がたくさんありました。
駅前のパン屋は買い求める工員たちでにぎわってたものです。

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左の駐車場はかつて山縣屋という鰻屋があったところで、飯島直子・松本明子・中山秀征ら三人のDAISUKI!という番組で紹介されたこともありましたが、閉店してから十五年ほどたってます。
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昔はどの町にもあった金魚すくいの店は夜店でしか見られなくなって久しいですが、このお店はすくいは当然してなくて純然たる金魚屋ですがかなり古くからあります。
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人形浄瑠璃や歌舞伎の演目で知られる神霊矢口渡の新田義興所以の新田神社です。
ご神木を撮ってると若い女性も撮り始めましたがすぐ離れて行ったのは遠慮してだろうか?
撮り終えてこれから下町ロケットが舞台になってる桂川精螺へ行くというと、去年入社した社員だというのにはびっくり。
それで事情を話し小便小僧はまだあるか聞くとないといわれました。
なくなったのか・・・
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新田浴場は午後2時からと他の銭湯より早く営業するし、電気風呂があり腰痛持ちのためたまに行きます。
群馬食堂もかつては工員でにぎわってたんでしょうが、今では昼のみの営業だし飲兵衛のたまり場になってます。
下丸子の駅並びにある喜楽亭も休業してるのかと思うほど寂れてますが、店内はいたって綺麗で料理もまずまず。
だからといって群馬食堂が汚いという気はないし、一膳飯屋のようなメニューはむしろ好きです。
ただ、狭い店内でいつも同じ飲兵衛があーでもないこうでもないと五月蠅いのが気分によっては引いてしまいます。
この商店街をロケした飯島直子さんは昔この近所に住んでたことがあり懐かしいといってましたし、蒲田の立ち飲みかるちゃんに彼女の写真が飾ってあったのも近くて足を運んでたからでしょう。
今の飯島直子さんはメディアから忘れられたような存在ですが、レースクイーンからタレントになりそれ以降の目覚ましい活躍ぶりが懐かしく思い出されます。
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京浜工業地帯の一翼を担ってる武蔵新田の町工場。
蛇足ながら父方の叔父は82歳になりますが、2年前S字結腸癌になったものの克服し去年まで町工場を自営してました。
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町工場といえば親会社から無理難題を突き付けられ予期しない残業など日常茶飯事。
それが終われば男はつらいよのタコ社長じゃないですが、酒屋で買って来たビールや日本酒でよく頑張ってくれたと祝杯してたところも多いでしょう。
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下町ロケットでご存知の桂川精螺です。
うしろに高層住宅がありますが、肥溜があった畑の田園風景も半世紀たてば都会並みになってるようです。
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私が住んでた向かいに社宅があったかどうかなど聞くのは、桂川精螺さんにしてみたらなぜそんな昔のことを、そして無駄なことをと思うかも知れない。
それでも意を決して受け付けへ行くと皆の目が集まり、視線が痛い。
ジーンズにカーデンガンというラフな格好でカメラを持った闖入者の私に、対応してくれた女性が昔のことをよく知ってるという方を呼んでくれました。
事情を話すと会社敷地内に寮とか社宅はあってもそれ以外にはなかったといいます。
そして昔小便小僧が立ってなかったか聞いてもなかったと答えました。
それでもとても丁重な対応してくださった受付の女性と取締役の方には感謝の思いでいっぱいになりました。
調子にのりスローガンを撮影し、ブログに掲載していいかと聞くと快諾してくださいました。
対応していただいたお二方にこの場を借り謝辞申し上げます。
誠に有難うございました。
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左の画像ははほぼ昔のままという感じですが、右のになると昔の面影がまったくありません。
それでもこの通りに大きな工場の正門を入ると丸い池があり、その真ん中に小便小僧が立ってたはず。
それを最後に見たのがいつのころだか思い出せません。
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駅へ戻って行くと新田神社では燈明が灯ってました。
幼馴染の所在はわからずじまいですが、わかったところで会ってくれるのかどうか・・・
そう考えるといい思い出だけそっとしまっておくべきなのかとも思いました。
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撮影機材 PENTAX K-5Ⅱs / SIGMA 18-250mm F3.5-6.3 DC MACRO

半沢直樹が勧善懲悪なら、下町ロケットは町工場の職人たちのプライドがテーマでしょうか?
ドラマのTBSといわれた面目躍如ですね~~~

砧ファミリーパークのいちばん気の早い梅が満開でした

昨日砧公園へ行きました。
目的は隣接する砧ファミリーパークのいちばん気の早い梅の撮影です。
いくら早咲きとはいえ2月5日に満開とは恐れ入ったものです。
他にも梅の木が何本もありますが、開花してるのはロウバイト紅梅だけ。
白梅はほとんどかたい蕾でした。

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先日散歩を終え自宅に近づくと白猫がいました。
よくよく見ると由乃ではないか・・・
どうしてそんなところにいるんだと思ってると、今はいなくなったクロもそこにいたことがあり呼びかけるとすぐに気がついてこちらに駆け寄ってきたものですが、5年以上餌を出して面倒見てるというのに我が家の野良猫にそんな可愛げはない。
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知らん顔して雑木林の中へ入ってしまいました。
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その後ろ姿を見てると墓地に行ったようですぐに駆けつけると、どうして来たんだと怖い顔で睨まれましたよ。
どうしてって、違うところから豚猫が墓地に入って行くのを見たからだ。
また喧嘩でもして怪我したらたまらないんでな・・・
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そんなこといっても由乃に通じるわけもなく・・・
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日向ぼっこするの邪魔しないでくれといわんばかりに離れて行きますが、豚猫に見つかれば揉み合いになるので我が家へもどるように誘導しましたよ。
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わかったのかどうか由乃がこちらを追い越して行く。
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先日の氷雨や雪が降って寒いときなど、塒がなかった当時避難してたと思える本堂の回廊の下で立ち止まりました。
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それでも塒にもどるよう誘導すると山門まで来ましたが、強情な猫だし車に轢かれては大変なので放っておくことに。yoshino_0122.jpg

こちらが自宅にもどって行くと、なんと由乃が先回りしてた。
本当に可愛げのない奴だ。
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そう思うものの玄関を開けると中に入ってあまえた声を出す。
それで座敷まで上がったかと思えば下駄箱の下を嗅ぎまわってる。
3年前の秋まで一緒だったクロがいるとでも思ってるんだろうか?
おまえが唯一懐いてる人間がこっちに黙ってクロを連れて行ったの知ってるだろう?
おまえが風邪こじらせて生死の境を彷徨ってた時のこと思い出してみろ!
そうはいっても我関せずで殊勝な顔つきを見せる。
そんな不敵な由乃も3か月後には12歳になる。
これからもこの由乃にもっともっとふりまわされながら一喜一憂する日々を送って行くんでしょうね・・・
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由乃が生死の境をさまよってるころクロが甲斐甲斐しく寄り添って見守ってたものです。
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4年前の冬ひょっこり我が家近辺に現れたクロを孤高の由乃の弟分にしようと手懐けると、先住猫の由乃がやきもちを焼いて餌を食べなくなった時期がありました。
それでもこちらから餌をもらってるクロを認めざる得ず、4か月ほどで仲良くなっていったものです。
ときには玄関のなかで一緒に餌を食べたりじゃれ合うこともしょっちゅうでした。
そんなクロがいなくなったのが3年前の11月。
元気でいてくれればいいとときどき思い出すというか、忘れたことがない。
オス猫だけに由乃よりかなり年下なのに大人びたところがある反面甘え上手な猫だったんですけどね・・・
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