思い通りに写真を撮りたい

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2015年元旦を迎えて 

50代になってからというもの大晦日といっても除夜の鐘を聞くことなく寝ることが多かったのが、昨夜は晩くまで起きてた。
紅白歌合戦などほとんど知らないものばかりが出てるし、聞くに堪えない学芸会程度の歌ばかりだろう。
民放にしてもこれが年末の番組なのかと思うほどつまらないものばかり。
高校時代の友人が、もう俺たちの時代じゃないんだよといってたのはテレビ番組を見れば如実のこと。

そんななかで見たいと思ったのは「ゆく年くる年」だった。
各地から放送される深夜の生放送は大晦日から新年を迎える市井の顔が映し出され、まさに今の日本を感じさせてくれる。
とはいえ年越しそばを食べた後片付けをしながらだし、それもワンセグで受信状態がよくなくとぎれたりしながらを見てたので、はっきりいってどこからなにが中継されたのかさほど記憶がない。
それでもこの番組を見ると、嗚呼新年を迎えるのだという感慨が深くなる。

日付が変わった午前一時半に就寝し起床したのは九時前。
外を見れば寒風吹きすさぶ中陽射しを浴びてる由乃がいた。
風が強いのに寒くないのかと思いながらも、新年初めてのシャッターを由乃で切った。
そしてブログの更新をするのにどの写真を記事にするか考えてると、やはり正月風景がいいだろう。
それで近所へ初詣の光景を撮りに行こうと思ったが、三日前寝てるときにぎっくり腰になりそうだったのが尾を引いてるし、無理して悪化させ寝正月では情けない。
それで以前撮影したフォルダーを見てると浅草の正月風景がある。

浅草といえばなんといっても寄席中継が正月の風物詩で、そんな光景を撮影してた。
その浅草演芸ホールへ初めて行ったのは40年ほど前だろうか・・・
当時付き合ってた女性が千葉だか船橋在住で遊びに行き晩くなったとき、彼女だけでなく両親が泊まっていけばいいというのを付き合って日が浅かったしそれはあまりにも図々しい。
それでも夕食をご馳走になってた。
そのおかえしに東京へ来た時、浜離宮から水上船で浅草へ向かい演芸ホールへ彼女と行ったものだ。
若いのに寄席へ行くとはなにを思ってのことだか記憶がない。
寄席など行くことはないだろうし、それで思い出になるからと連れて行ったのかも知れない。
演者がだれだったのか覚えてないが、二人とも腹を抱えて笑ってたような気がする。

そんな浅草演芸ホールをさつえいしたのを画像処理しようとすると、プロファイルがFUJIになってる。
Nikon D7000を売却しFinePixに買い替えたのを思い出すが、小さなセンサーを高画素にするため流石に粒状性が悪いのが目立つ。
それでまたすぐNikon1に買い替えたものの、これも似たり寄ったりでペンタックスに替えてる。

デジカメの進化は日進月歩でマイクロフォーサーズはデジイチを凌駕する画像を吐き出し、いいなと思うもののフルサイズに比べると4段分ぐらいだろうか被写界深度が深いという。
いくらいいレンズでも、それではレンズ本来の持ち味を十分に発揮できないのではと思うが、OLYMPUSのOM-D E-M1などかなりいい画像だ。
それもレンズしだいだし、マウントが合わなければ所有してるレンズごと買い替えなければならない。
毎日が日曜日みたいな生活をしてる自分に、それは無理。
それでもモニターがフリーアングルになるカメラが欲しいと思ってると、LUMIX DMC-FZ1000はチルトどころかバリアングルだし25mm~400mmのレンズはF2.8-4.0。
これなら猫撮りにもってこいだしスナップや夜間撮影にもレンズ交換しなくて済む。
しかもマクロ機能まで搭載し他にも多機能なカメラだ。

10年ほど前初めて手にしたデジカメはOLYMPUSのCAMEDIA C-730 Ultra Zoomで8万円近かった。
10倍ズームでパノラマ撮影や動画まで撮れる優れものだったが320万画素は、今の低価格なコンデジの半分にも満たない。
それでも行く先々に持参しては撮りまくったものだ。

デジカメだけでなく文化風俗も時代と共に進化?
いや変貌してる。
お笑いなるタレントを見て笑えない。
ネットの掲示板というか書き込みは罵詈雑言だらけだし、プロバイダー自身誤字脱字が日常茶飯事の上、その見出しも受け狙いで真相はたいしたことない話題が圧倒的。
そんな環境に慣らされた人間とは違うと思ってる自分。
それだからこそ今のテレビ番組は下らないと一蹴したくなるし、腹の底から笑ったり感動するものに出遭わない。

そんななかディアゴスティーニが昨年亡くなられた高倉健さんを偲んでなのか「東映任俠映画傑作DVDコレクション」を発売した第一弾が「網走番外地」で、何度もビデオで見てるもののここ10年ほどはビデオデッキが壊れたままで見てなかった。
それだけに見てると古い網走の街が出てきて懐かしいし、ストーリー自体人間性を描いてて情を誘う。
共演者の多くは故人となってるし、田中邦衛さんも体調がすぐれないらしく気になるが、まさに映画といった感を覚える。
その映画も高倉健さんが何年かおきに出てくるのを楽しみにしてたが、今となってはそれを望むべくもなくまさに俺たちの時代ではなくなってしまった。

私が子供のころでも人のことを悪くいうのがいたし、電車に乗れば我先に席に座る者がいた。
いつの時代にも自分さえよければいいという輩は存在するが、今ほど自分勝手で人を思いやる心ない者が多い時代はないだろうし、今後もますますそういう傾向が強まるかも知れない。
公共マナーの悪さといったら目を覆いたくなるばかりだし、政治家を見れば口先だけでまさに自分さえよければいいといった政治屋が横行してる。
財界べったりで庶民のことなどどうでもいいのだろう。
そんな現実もメディアはほおかぶりし、自社に都合の悪いことは報道しない。
メディアとしての使命感を忘れ時の政権にべったり。
選挙の投票率を見れば高齢者が圧倒的に多く、若い世代が少ないといわれて久しい。
愚かな有権者が多い国に優れた政治家は現れないと聞く。
福島県の前矢祭町町長だった根本良一氏のような気骨ある政治家の輩出を望んだところで、今の人間ではあそこまで徹底したことはできないだろう。

新年を迎えたというのに、取り留めなく何を書いてるかと思われてもしかたない。
駄文と片付けるならそれもよし。
今年六十二歳を迎える自分など、どう生きたところであと十年かそこいら。
今の十代二十代三十代の若い世代は、少なくとも今後五十年は生きるだろう。

今の時代をどう思ってるかしらないが、昔はよかった。
近所の小父さん小母さんと会えば挨拶するだけでなく、その服格好いいねデートとかいわれたし、気楽な交流があって珍しいものがあればお裾分けだと届けてくれたりする。
近所に住人がいながら交流がほとんどないって、それは今の人間にすれば当たり前なのかも知れないが、昔の人間の自分には不可思議としか思えない。
そんななか今朝外で由乃を撮ってると、笑いながらおめでとうございますというアパートの住人がいた。
彼にしたらまた猫を撮ってるとおかしく感じてだろう。
可愛いとか美人を撮ってるならともかく、そりゃ、たしかにおかしいだろう。
それでも由乃のことがきっかけで挨拶をかわすようになった彼だし、今年もまた我が家の野良猫にふりまわされる一年が始まったことはわかるだろう。
母の四十九日の晩、二階の部屋にいたこちらを見上げてた猫。
六年前の十二月三十日だったろうか?
餌をねだりに来たのかも知れないが、そんな由乃を一生面倒見て行こうと決めたのだ。

東日本大震災が起きたとき東京のスーパーでカップ麺の買い占めが起きたし、いついかなることでキャットフードが手に入らなくなることがあるかも知れない。
そんなことになって餌の入手困難になれば自分自身食べるものを手にできなくなってるだろう。
そのときはともに死ぬしかない。
それでもいい。
こんな住みにくい世の中、こっちからおさらばしようじゃないか!
ま、そうならないことを願ってはいるが・・・
とにもかくにも、2015年の元旦を迎えることができた。

皆様におかれましてはいかがなお正月でしょう・・・
佳き新年であることを願い、ご多幸ある一年にしていただきたいものです。

明けましておめでとうございます。
新年早々ボヤキで始まった当ブログですが、今年もまた一年よろしくお付き合いいただければと思います。

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テーマ: お正月 | ジャンル: 写真 |  trackback: -- | comment: 11 | edit

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