思い通りに写真を撮りたい

最近草花が多くなってますが 猫とスナップがメインの忘備録的ブログです 右上のMENUクリックでカテゴリーが表示されます

媚薬に溺れるな 

戦後70年目を迎えた今日、私は62年2か月余りを生きてきた。
広島県上下町出身の父と兵庫県姫路市出身の母との間に産まれた。
父は山奥で生活してたせいか、上京したのはいいが華やかな都会に目がくらんだようだ。
仕事は真面目にするものの小さな町工場の給料など吹けば飛ぶようなもので、日当にすれば300円ほど。
俗にいうニコヨンに毛が生えたぐらいだ。
パチンコ玉は1つ1円で300個買えば日当が消えた。
勝てないくせにパチンコに入れあげ、母と喧嘩が絶えなかった。
それで当然母も仕事をしてたが、収入は微々たるものだった。

母乳があまり出ない母は、私と同じような乳飲み子がいた近所の女性におっぱいを飲ませてもらうように頼んでたという。
それでも四六時中とはいかず、夜泣きするときは粉ミルクを飲ませるのだがその粉ミルクが配給制だった。
米穀手帳がないと米も購入できなかった敗戦色濃い時代だ。
その母が保健所へ行くのに長い坂を私をおぶって行ったらしい。
家に帰ると汗だらけだが扇風機もなく、タオルで拭いてうちわで凌いだという。
そんなのはまだいいほうで、ヤミ米の買い出しに省線電車で大宮へ行き20キロぐらいを担いだときは腰が折れそうだったし南京袋の繊維が背中をチクチクさしてかぶれたといってた。

その母がついに父に愛想を尽かしたのは私が5歳ころだったか・・・
母の実家は曾祖父が地元で名士だったこともあり裕福だったという。
少女時代は芝居小屋と映画をよく観に行ってたし、宝塚が近かったこともあり歌劇団に入りたかったといってた。
そんな少女時代の16歳で一度も顔を見たことのない父と見合い結婚したはいいが、待ってたのは地獄のような日々だったという。
広島県上下街は神石という山奥で冬は凍傷になりそうなぐらい寒いなか父方の家族のために朝食の用意をし、日中は薪や炭を担いで何キロも歩いてヤミ米と交換し帰ればまた夕食の準備。
結婚後上京して体力的な負担は軽くなっても、精神的な疲労はピークに達してたのだろう。
姉と私をおいて実家へ帰ってしまった。
このとき母は50円玉を渡してくれ、好きなものを買うようにといった。
煎餅が2枚1円の時代の50円なのだから、いまでいえば3000円ぐらいの貨幣価値だろうか?
夕方には帰るからといってくれた50円だが、5歳の私でもおかしいと思った。
カレーといっても肉なしだったし、いつも野菜の煮物やイワシの丸干しでご飯を食べてたのだ。
近所の家族が出前でラーメンやカツ丼を頼むのに、我が家が出前を取ることなどなかった。
風呂屋の大人料金がまだ10円ぐらいの時代だった。
そんな時代の50円なのだ。

母が帰って来ない日が何日も続き、父が兄に付き添われ姫路へ私と姉を連れて行ったようで、母が駅で出迎えてくれたのをかすかに覚えてる。
母も我が子可愛さで渋々父と東京へ戻った。
出戻りなど恥だとされてた時代だし、両親に子供をどうする気だと説得されてのことだろう。
人付き合いのいい母は近所づきあいがうまく我が家は誰かしらいてにぎやかだった。
父が病に倒れ長期入院し、近所の住人は気兼ねすることがなかった。
そんななか私は高校生から社会人となり生計を助けてた。
母は相変わらず働いてたが、たいした学歴もなく貧乏に変わりはない。
それでも家を新築してたしそのローンを私が払い続けた。
中学時代から年齢を偽ってアルバイトしてたし働くのは嫌いじゃない。

東京オリンピックが終わってもオイルショックに見舞われようと、日本は経済大国になってた。
経済成長は留まることを知らず私が三十代半ばになるころバブル全盛を迎えた。
そのころ母はある商売をしてて経済的にもゆとりがあったし、亡くなった父がいないことでかなり自由な日々を送ってた。
実家へ里帰りしたり熊本にいる妹や京都の弟のところへ旅行気分で行ったりもしてた。
姉は山梨へ嫁ぎ私は私で週末婚のような生活をしながら、それぞれが日々の生活に満足してたように思える。
それでも母は結婚しない私を口やかましくいい、それで話すことが少なくなってたような気がする。
目にする女性関係する女性に気移りしてばかりだし、結婚などしたいと思わないが子供は欲しいと思ってた。
求婚してくる女性もいたが、好きな山と写真に没頭してて留守にすることが多いし、結婚しても意味がないと思ってた。

そして気が付けば50歳になってた。
その誕生日の直前私は胆嚢癌になり、母が癌の血統じゃないのにと訝しがってた。
その4年後母が乳癌になり片側の乳房を全摘したと思ったのも束の間で、その2年後は胃癌の末期状態になってた。
56歳になってた私はその前年の秋図書館へ行くのに猫を初めて撮ったし、帰りには違う猫を見つけそれも撮ってた。
そして母が胃癌の手術後退院したときは近所でよく見る猫に餌をあげるようになってたし、その猫をよく撮影してた。
母が胃癌になる前年のことで、退院して来た時は玄関のなかで餌を食べるようになってた我が家の野良猫由乃が少しは懐いて来たかと聞く。

由乃と名付けた猫は今から12年前我が家のすぐそばで6匹産まれたなかの1匹で、その母猫は出産後まもなく車に轢かれて亡くなってる。
残された仔猫を近所の人たちが餌を与えながら見守ってたが、もらわれていったり他へ行ったのかカラスの餌食になったのか残ったのは由乃1匹だけで、母はそのことをよく知ってた。
それだけに由乃のことを気にしてたが、動物は好きでないのか猫はとくに懐かないから嫌いだといってた。
それでも私が物心つくかどうかのころ家に猫がいて、編み物をしてる母のそばで毛糸玉にじゃれてたのを覚えてる。
6年前に母が亡くなり四十九日だった年末、いつも餌をあげてる時間よりかなり晩くなったというのに玄関前に由乃がいた。
母の四十九日を見守っていたといったらおかしいだろう。
由乃は単に餌が欲しいから、晩くなってもいただけのことだろうし・・・

そんな由乃が今年12歳になった。
縄張り荒らしにやって来た猫と取っ組み合って口が裂けるほど大怪我をしたし、風邪をこじらせ生死の境を彷徨ったこともある。
それでも生きていられるのは私が餌をあげてるからだろう。
いや、私より古くから餌をあげてるものがいるし、通りがかりで何度か見てる者が時々餌を出してる。
なにはともあれ人間の介在なしで猫は生きていられない時代になってる。
ネズミを見ても追い駆けないし、逆に怖がるのもいる時代なのだ。
それだけ猫にとって生きづらい環境になってるし、今後はますますその傾向が強くなるばかりだろう。
無機質なコンクリートや気密性が高い住宅が増え、木々や草花がどんどん減ってる。
それでカラスやハトが生ごみを食い散らかすし、そんな鳥たちに奇形が増えてる。

自然が減るとともに環境悪化は急速に進んでるというのに、金儲けになるならと都会に人口が集中するいっぽう地方は限界集落ばかり目立つ。
役人と政治家がそれを未然に防ぐのが使命なのに、自分さえよければいいし後世のことなどどうでもいいのだろう。
そればかりか私利私欲に駆られた愚人どもが戦争する国にしようとしてる。
戦後70年一度も戦争してない日本。
それなのに媚薬にとりつかれた馬鹿が専守防衛から戦前の富国強兵へ舵をきってる。

小泉純一郎が自民党をぶっ壊すといい耳目を集めさせたものの、したことといえば大資本家が儲けただけで庶民は苦しむ一方に立たされた。
米百票の精神を持ち出して国民を欺いたのは火を見るより明らかだし、それよりひどいのが安倍晋三だ。
派遣法はもとより日銀政策然り、NHKをはじめとしたテレビ局へ圧力をかけあるがままを報道させない。
そして安保法がすんなり成立しないと見るや、デモ行進を繰り広げてるSealdsらの大学生たちに就職が不利になると報道させる悪辣さには何をかいわんやだ。
とにかく自分の思い通りにするためにはなりふり構わず、子供でも恥ずかしくてしないことを平気でする。
先日そんな安倍晋三が腹痛に襲われたという。
アメリカで中学生のような英語を得意げになって後方支援するといったし、沖縄の基地問題もアメリカの意に沿うようにするといった手前それが叶わないのだから、腹も痛くなるだろう。
そしてまた体力の限界といって総理の職を投げ出すのか?

そんなことはない。
安倍晋三は明治150年の節目を迎える3年後も総理でいたいと次期総裁選に立候補するという。
それが節目にあたる年に山口県出身者が総理大臣を務めてるので、自分もその一翼に加わりたいのが理由らしい。
その記事が安倍晋三の言わんとしてることをすべて書いてあるかどうかは別としても、いかにも駄々っ子な安倍晋三の本心に見えてならない。
明治150年だろうが200年だろうと、そんなくだらない名誉欲に駆られていようが、総理大臣の責務を全うするならいい。
それどころか日本を戦争する国に替えようとしてるのだから、安倍晋三は総理の地位はもちろん直ちに議員辞職して欲しい。
そしてこんなにまで国民をないがしろにする安倍晋三に投票した選挙民に目を覚ましてほしい。
安倍晋三は今日の終戦記念日談話で戦争は二度としてはならないと発表しながら、戦争するのと変わりない状況へ国民を陥れてるのだから・・・

戦後70年。
人それぞれいろんな思いを抱えながら生きてきてる。
生きてるのは殺されないからであり、戦争のない国だからというのが大きな理由だろう。
今日もまた戦禍に晒されてる国だけでなく飢えに苦しみながら死んでいくのがいる。
それを思うと、日本はつくづく平和な国だと思う。
猫を見て心が癒されるのもそうだし、贅沢いわなければ食べ物に不自由しない。
暑ければクーラーで涼めるし、経済的ゆとりのある者は山や高原で避暑できる。
平和ボケしてどんな酷い政治家でも地元出身だからと投票してしまうのは、あまりにも愚かだが・・・
それもこれも戦後の団塊世代が馬車馬の如く働き築いてくれたおかげだろう。

その一方で団塊世代の子供や孫たちが甘やかされて育ち、心無いものが多くなってる。
それは団塊世代の人間にしてもそうだし、老若男女問わず身勝手な人間がとにかく多い。
自分さえよければいいし、人のふり見て己のふりを直せなどといってもわかるのは少ないだろう。
だから弱い者いじめが横行してるし、政治にしても愚かで貧困が故、弱者が救われないのは常。

高齢化社会といわれ始めてどれぐらいたつのか?
特養ホームは常に満員だし、それも賄賂で優先的に入るのがいるとも聞く。
何事も金がついてまわる中国やタイとかフィリピンではなく、この日本でだ。
老人大国日本が待ち受けてる未来は暗いだろう。
だからこそ政治家がしっかりしなきゃいけないはずなのに、現実はいうまでもないか・・・

猫や生き物を愛せないのがいるのは心が貧しいからだろう。
豊かな心があれば戦争などしないし、他国を咎めることもない。
そういう国民が多いブータンさえ文化の波に洗われようとしてるらしい。
知らぬが仏ということもあるし、一度覚えた媚薬は手放せなくなる。
ブータンの国民だけでなく、地位名誉権力を手にした者たちに、媚薬に溺れるなといいたい。

今年2月近所の幼馴染が亡くなった。
その兄から聞かされたのは二か月ほど前だったろうか?
大学に行ったもののすぐ中退し大型免許や二種を取得したあとバスやタクシーの運転手をしてたが、ストレス過多になったのか酔ってる姿が多くなっていった。
私より5歳下で宿題を教えてあげてたこともあったし、一緒にドライブしようといってたが一度も叶わなかった。
その彼の墓が近所なので先日線香をあげに行こうとしたが場所がどこかわからずじまいだった。
人間死ぬときは必然として来るのに、死に急いでどういう気だといってやりたかった。
戦争なんかで死ぬより、好きな酒に溺れて死んだだけましだろうか・・・

撮影機材 PENTAX K-5Ⅱs / smc PENTAX-M 40-80mmF2.8-4.0
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テーマ: 今日の独り言 | ジャンル: 写真 |  trackback: -- | comment: 2 | edit

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